衣川合氣道で稽古している合氣道の流派は心身統一合気道という、合気道の開祖、植芝盛平翁の愛弟子である藤平光一先生が開いた流派です。
藤平先生は幼少の頃は体が弱かったのですが、父親から柔道を習い体を強くしようとしました。しかし慶應義塾大学に入学後、肋膜炎を発症し苦しむことになります。そんな中、山岡鉄舟の高弟小倉鉄樹などから禅や呼吸法を学び修行した結果、肋膜炎が完治しました。そして19歳のときに合気道の開祖植芝盛平に入門することになります。
また、思想家であり現在の自己啓発の分野にも大きな影響を与えた中村天風先生に師事し、心身統一道を学びます。その後ハワイを始め、アメリカ各地で合気道を指導しました。1969年(昭和44年)、植芝盛平翁が亡くなる3ヶ月前に、公式に最高段位である10段を許されます。藤平光一先生は合気道で存命中に10段位を許された唯一の人物なのです。
その藤平先生のもとで修業されたのが、私の師匠である琴地茂先生です。
琴地先生は日本大学文理学部教育学科卒業後、藤平先生のもとに内弟子入門し、合氣道の専門家としての教育を受けられて、合氣道の指導を行ってきました。その活動は国内にとどまらず、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンジェルスに赴任し、2年間指導に当たられたそうです。その後はロシアにも指導に赴かれています。
平成2年には兵庫県明石市に合氣道の道場、琴心館を開設され、現在も指導を継続してこられています。また、平成8年には兵庫県を代表する合氣道団体、兵庫県合氣道連盟を結成し、第1回合氣道演武大会を明石市中崎公会堂にて開催し、それから回数を重ね令和5年で第25回目となりました。総勢約200名を数え盛大な演武大会となっています。ここまで合氣道を普及させるのに琴地先生は多大な努力をされてきたのだと思います。
合氣道では呼吸を大切にします。生まれてから、無意識におこなっている呼吸ですが、上手にできている人とそうでない人がいます。できている人は健康でエネルギッシュ、できていない人はなんだか元気がない、調子が悪いということになります。なぜなら呼吸の状態により、体に入ってくる酸素の量が違ってくるからです。
体の細胞が酸素不足になると、手足が冷え、肩がこったり頭痛がしたり、肌が荒れたりします。冷えや肩こりは万病の元。健康を保つには毛細血管のすみずみにまで、酸素を行きわたらせることが大切なことになります。
しかしながら現代人はストレス社会の中で生きているため、イライラして毛細血管を縮め、スムーズに酸素を体の隅々まで運ぶことができずにいます。また不自然な姿勢で血流を阻害しています。そのためストレスに対して弱くなっています。
世の中にはいろいろな呼吸法がありますが、合氣道で行う呼吸法は「氣の呼吸法」と言います。その特徴は心身統一して行う呼吸、つまり自然体で行う自然な呼吸であることです。呼吸を意識してコントロールし、秒数を決めたり息を止めたりする必要はありません。自然体で自分の呼吸できる幅をできるだけ広く深くする、ただそれだけです。そういった呼吸の稽古を行い呼吸力をつけ、健康体を養います。
日頃の稽古の成果を地域の皆さんに見ていただくべく、衣川コミセンまつりに参加しました。子どもたちは大勢の人たちの前で臆することなく、堂々と演武を行い見事でした。